必要か否か

ここ数日は夜中に寝て、朝起きる生活をしています。

 

定期的に昼夜が逆転することをここ何年か…いや数十年繰り返していると思います。

 

昼の仕事だったり、夜の仕事だったり

今みたいに、フリーで活動時間は基本自分次第だったり

 

不思議なくらい昼が安定しません。

本当に様々な時間に生きてきたからかもしれない。

 

定期的に訪れる、この昼夜逆転なんですが、

精神的になぜだかすごく良くない。

 

何よりもなんだか色々考えこんでしまう。

なんというか、ナーバスみたいな状態になる。

 

 

割とこういう状況の時は

ひとりで塞ぎこんで割と誰にも相談してこなかった。

彼女でもいれば、その時は彼女に情けない泣き言などを聞いてもらったりしてはいたけれど、

それくらいだろうか。

 

こちらのブログを完全に個人的な深夜ブログにしたおかげで

わりと心のうちを出しやすくなった。

 

これのひとつ前の投稿なんて

ただの歌詞だ。

意味は無い。

いや、意味はあるけど、別にいうことでも無い。

 

外には雨が降りしきってる。

梅雨だからだろうな。

 

雨が降る季節があって、

雪が積もる季節があって、

夏には暑い日差しが照りつけて

花が開いたり、葉が色づいたり、

気づけば、そうでなければならない時間が多い気がする。

 

良く流行歌には、悲しみは続かないとか、かならず笑顔になれるとか、

なんかそういったポジティブなものが多いとは思う。

 

それはそれで、ココロが救われる人がいるならいいだろうし、

それを心の糧に毎日元気に進めるなら、どれだけ素晴らしいことだろうかとは思う。

 

けど、そんな簡単なことばかりでもない。

単館系の映画館でしか放送されないような、

どこまでも救いようのないほどの悲しく、切ないことだってある。

 

けど、どんなに苦しい日々だったり、悲しい日々だったりでも、

何かその場所にしか見えない明かりがあるだろうとは思う。

でも、ここでまた誰かは、それを支えに生きていこうなんて、そんな軽はずみなことをいう。

 

もし、それを失ったら、もう生きていけないの?

 

それを失った時に、さっき励ましの言葉をくれた人がいる確立なんて5%に満たないだろう。

その時の絶望感はきっと、ずっとずっと深い。

 

だから、深く考えちゃ駄目なんだ。

生きていて、毎日誰かが自分を必要としているかどうかなんてどうでもいいんだ。

例えば、僕が明日もし死んでも、

親兄弟は悲しんでくれるかもしれないし、

僕のことを知ってくれている人たちも一緒に悲しんでくれるかもしれない。

もし、そうだとしたらとてもシアワセなことだけど、

そうやって僕が死んでも、子供もいなけりゃ嫁さんもいない僕が死んだところで

困って泣き叫んで、どうしていいか分からない人なんていないと思う。

そういう意味では別に特に誰に必要とされているわけでもないんだ。

 

例えば僕に扶養家族がいたとしても、

しばらくは迷惑をかけるかもしれないが、

それこそ、居ないなら居ないなりの毎日を過ごすだけだ。

 

必要かどうかなんて、どうでもいい。

 

今こうして、指を動かして、したくてしているわけじゃない呼吸をして、

無意識のうちに腹がへり、好きだからキスをして、

欲しいから抱きしめて、眠くなるから寝るだけの

ただそんな毎日を、生きていけたらいい。

 

必要かどうかみたいな話をするとよく、必要にされるような人間になればいいという人がいる。

それすら、なんか強迫観念で嫌だ。

やっても分かんないことだっていっぱいある。

自分じゃ限界だって思って、決して限界じゃないのに諦めちゃうことだってある。

いいだって。別に。

 

問題は、誰かに必要とされることじゃなくて、

自分が必要かどうかだと思う。

 

でも、やっぱり分かんないよね。

答えは人それぞれだし、

その時々で、状況も変わるし。

 

 

何を言ってるか分からないって言われそうだな。

 

とりあえず雨が降ったら、傘を差すっていうのは

全員に当てはまることじゃないってことだけ、今の僕には分かってる。

ただそれだけです。