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見られたい見せられない

ども、なんとなく生活時間がずれ始めてきたGeorge.Kです。

相変わらずしたいことが多すぎて

結局何にも手がつけられない生活が続いてます。

みなさんいかがお過ごしでしょうか?

…なんて書く人は完全に見られることを意識している。

いわゆるブログって大きく分けると2タイプ。

いや、正確にはもっとありそうですが、2タイプ。

人に見せることを前提に書いたブログと
人に見られないことを前提に書いたブログ。

うーん、表現が下手くそかな?

世間的に目に見えるカタチでブログとして存在している多くが見せることを前提にしている。

もちろん、知り合いに見られてもいいものや、

知り合いには見られたくないものまで様々ですけど、

基本的には見られることを前提に書いている。

それとは反して、世間の目には触れる機会がほとんどないブログも多数存在する。

下手すると知られてないだけだから、ものすごい数があるんじゃないかとも思う。

昔で言う、引き出しの奥や鍵付きの箱に入れてある日記みたいなものだろうか?

あくまでも記録をするためだけに書かれたそれは、決して人に見られることがないことを前提に書かれている。

文章の形式とか、誤字脱字とか結構どうでもいい。

書くことで何かが達成されているんだと思う。

僕のブログはどちらかというと、前者。

でも意識的には後者。

見てもらえるなんて思ってなくて書いていたりはするんだけど、

僕自身を訪問者だと置き換えて、僕自身に語りかけている感じといえばいいかな…

けど、それなりに色々なブログをやっていると

何かのきっかけでアクセスが跳ね上がったりする。

それは書いている人間にしてみればとても嬉しいこと。

自分の記事が人気記事になるわけだから、そりゃ嬉しい。

けど、ダメになる。

人に見られることを意識した形式であっても

あくまでも本当の意識は自分が好き勝手書いているこその魅力があった。

けれど、見られるということにおいて、

自分というモノカキがすごくつまらない文章を書き始めていくのが手に取るようにわかる。

いつも陥るんです。

たとえば情報系のブログなんて、完全にアクセスアップして欲しいって思ってて

そんな風に書いているのは事実なんですけど、

いざ本当に人が来始める前と後ではびっくりするくらい文章が違う。

多分微妙な違いなんだろうけど、見る人達はきっと敏感。

もっとワガママに自分らしく書き続けなくちゃな…

続きはメルマガにでも書こう。

宣伝ですよ、宣伝。

リンク貼らないけどね。

少数精鋭

ども、こちらではお久しぶりです。

朝の慌ただしいさなかにちょっと短い投稿を。

あ、どうもGeorge.Kです。
↑SEO的なやつです。…いえ、嘘です。

何か物事を進めていく中で
例えば会社を作った時とか
何かのプロジェクトをはじめる時とか
大体少数精鋭っていうカタチになります。

僕も色んな仕事をしてきたせいか、
よくこのフレーズを経営者だったり
プロジェクトリーダーだったりから聞いてきました。

実は僕この言葉あまりすきじゃないんです。

いや、正確には好きだったんですけど、
今ではだんだん嫌になってきたというか…

冒頭でも言った様に、いきなり1000人とかの規模で会社が始まることって稀で、
大体どんな会社も最小はごくごく限られた人数。
しかも立ち上げからそんなに非生産性の人間とか雇ってる余裕なんて無いから
なんでもこなせる人を集めたりした結果
給料も決して高くない、労働も過酷、いつどうなるか分からない
けれど夢がある…ってだけで集っている正しく少数精鋭です。

それを敢えて言う必要ないなって…いうのがひとつ。

そんなのわかりきっていることで、
それを敢えて「ここにいるメンバーは少数精鋭で…」みたいなトークが出ると
あー、それもう耳にタコですわーって思っちゃうわけで、
むしろ、本当にそう思っているのか?すら思ってきます。

まあそれはまだいいんですけど、
一番問題だなって思うのが、
この少数精鋭っていつか崩れてしまうってこと。

やっているうちに
もう少し人間増やしたいなとか
これをやってくれるやつを入れたいとか
だんだんそうやって小集団が中集団やがて大集団へと変わっていきます。

その中で、どこまでが少数精鋭なのかって話。

まあ僕的にはやっぱり3人くらいがベストで、
それ以上増えてくると徐々に調和が難しくなる。
ピアノのコードみたいなもんか…

人数が増えてくると、それだけで互いの調整が大変だったりして
うまく物事が進行していかなかったりする。
同じ志を持っている者同士がいくら集まったとはいえ
結局ベクトルが同じ方向に向いてても人数が多くなれば
それだけ多種多様な意見が出てくるわけで、
それをうまく調整するのは難しい。

よくいう”あちらを立てれば、こちらが立たず…”的なやつですね。

しかし3人とかがベストっていっても
1人が風邪で倒れちゃったりしたら、そりゃもう大変なわけで
そういった意味でも5・6人が良かったりもする。

けれど5・6人だとさっき言ったみたいな問題が起きやすい。
お互い顔が見えるくらいの人数だから、それぞれの意見を尊重しあって
なかなか決まらないか、もしくは揉める。

じゃあ10人くらいになったらどうだろ…
ってなったら、さすがにそこまで増えたら
ある程度リーダーの意見でものごとが決まる。

そう、それくらいが丁度よかったりする。

けれどリーダーが最終決定件を持っているのって
俗に言う少数精鋭みたいなのとは大体違う。

まあ、これは議論に関してだけだから
結局少ない人数でやっていることにはかわりないんだけど
なんか違う。

こういうのってトップの人って気付きづらいんですよね。
「俺達は少数精鋭だ」って言ってれば下のものが喜ぶって思っているか、
本当にそう思って酔いしれているだけのパターンが非常に多い。

あ、ものすごーく色んな人を的に回しそうなことは覚悟ですが、
決して喧嘩を売っているわけではなくて
僕の単なる考察なんで、もう雑音だとノイズだと思って気にしないで下さい。

まあ、とはいえ僕もよく「俺達少数精鋭だ」って言うんですけどね…
自爆スイッチのありか教えて下さい…

べしゃりの天才

テレビを見ていると
とにかくとくしゃべるのに決してうるさいって
そんな風に思えない人が明石家さんまさんです。

まあ何よりもあの日が面白いっていうのも手伝っているんでしょうが。

あの方をみていると本当に面白く、
そして次から次に綺麗にトークを創り上げていく。

よくテレビの中でも言われているのが、
普段もまったく変わらずにずーっとしゃべっていると。

人がいる所でしゃべらないことがまずない。
飲み会とかあると絶対最後まで寝ないし、
トイレとかも極力いかないようにしているとか。

飲み会の件は僕も似たようなとこがあるので
非常に共感できます。

それにしても、人は彼をべしゃりの天才って言うのですが、
よくありがちな答えかもしれませんが、
生れながらにしてただ面白いのではなくて、
彼は大変努力家なんだと思います。

よく彼の話の中で
彼は出演番組を必ず全部チェックしているっていう話があります。
それどころか、自分が出演していなくても若手の番組とかもとにかくチェックしていて
常に”お笑い”というフィールドをおもいっきりチェックしているそうです。

テレビで彼のことを見たことがある人なら、
彼のギャグのひとつに、誰かが言ったギャグ等を
メモを取るしぐさをするというのがあります。
(「これもろうとこ」なんて発する時もありますね)

あれは単にギャグなんじゃなくて
実際に普段からもお笑いをチェックしながら
頭の中のエバーノートに記録しているのを具現化しただけなんじゃないかなと思います。

天才っていうとよく最近よくあげられるのがイチロー選手。
彼もいわゆる努力型だって言われます。

ただ、ふとそうやって2人を並べた時に思ったのが、
天才っていうのは努力をすることの結果というよりも
努力をすることが全く苦にならないことを手にいれることなんじゃないかと。

天に与えられた才能っていうだけあって、
人にはそれぞれにおいて努力をすることが全く苦にならないものがある。

例えばずーっと寝てていいよって言われても苦になる人は苦になる。
ずーっと食べてていいよって言われても苦になる人は苦になる。
つまり、何か自分が続けられることが出来るものを早い段階で見つけることが
きっと天才への近道なんじゃないかと思っています。

いや、そんなの当たり前じゃんって言う人も多そうですが、
そもそもそんなのを早い段階で手に入れられないことの方が大半。
これ好きなんだよねって思わされて生きてきて
ある日突然、「いやそんなに好きじゃない」ってなったりすること
結構多い気はします。

まあ、難しいんでしょうが、
とにかく子供を天才にしたかったら
とにかく好きなことをやらせるべきなんだろうなって。

ただね、無理に何かを与えることは決してよくないって思ったりもしています。
一番いいのは手を伸ばせば近くに用意に手に入るものを与えてみること。

自分が野球やってたならバットを握らせればいい。
自分がテレビが好きだったらいっぱい一緒に見ればいい。
自分が音楽家だったらいっぱい音楽に触れさせればいい。
自分が料理人だったらいっぱい料理を作らせればいい。

そうやってみて
それに馴染まないようだったら
もしかしたら違うのかもしれない。

天才になるには少し時間がかかる。
言うならばクリスマスの七面鳥のようなものだ。

時間をかけて下ごしらえをして
時間をかけてじっくり焼き
途中油をかけたりして手間をかけ
焼きあがったら飾りをつけて、やっと食べられる。

そんなもの。

そしてそれを作った本人は
それを美味しそうに食べる人たちを見つめて
その人達の笑顔でお腹いっぱいになって
そしてみんなが食べた後に少し味わう。

シェフは知っている、みんなが食べる前にほんの少し味見をして
それがどれだけ美味しくて、そして素晴らしいかを。

てな感じで締めくくればカッコイイっすか?
そうはいかないのがGeorge.K。

僕が天才というものを語るのは正直お門違いでしょうが、
ふと頭の中に浮かんだのでそのまま描いてみた。
批判があれば是非。

そんな僕は幼き頃にこんなことを言っていた。

「ある人が言った、天才は99%の努力と、1%の才能でできていると。
 ならば僕は100%努力すればいい。簡単な話だ。そんなに差は無い。」

あの頃の僕はこれからくる可能性を信じてとにかくキラキラしていた。
今がどうなのかは分からないが、そこそこいい年齢になってきたが、
まだ何かの可能性があるとするならば、やってみても損はないはず。

外は雪が降っている。
今年最初に東京に降る雪だ。

転ばないように、凍えないように。

同じ名の下に。

メルマガに書こうと思ったんですけど、

まあ結構僕の人生でも衝撃的な出来事だったので記す。

僕の本名の下の名前は漢字で書くと「丈治」です。

これってちっちゃい頃から珍しい名前で

人生で同じ名前の人にあったことが無かったんです。

この名前ならではの悩みも一杯あって、

まず何よりもちゃんと書いてもらえない。

例えば病院の診察券とかよく「文治」って書かれてた。

あと、学校の先生も必ず名前を呼ぶ時に躓く。

とにかく、この名前で苦労したことが多々あって、

今では珍しい名前をつけてくれたことでの感謝はあるものの

幼い頃は正直ハズカシイとか嫌とかの感覚の方が大きかった。

そんな僕が、先日 Google+をやっていた時に

ふとサクっている人のコメント欄に気になる文字を見つけた。

そう、「丈治」だ。

え?あ、僕と同じ名前だ…って。

すぐにGoogle+上から同じ名前です!って呼びかけたら

相手の方も僕みたいな怪しい人間に反応してくれて、

ちょっとした交流が始まった。

ちょっとお相手のプロフィールとか見ると

会社の役員されている方だったりで、気軽に話していい相手では無かったようですが、

そのへんはSNSの暴れん坊(というほどでもないけど)のGeorge.Kならでは、

臆せずバシバシアプローチ。

たまたまお相手がすごく素敵な方で、会話をしてみたら実は同じ新宿で仕事していることが判明。

じゃあせっかくだから呑み行きますか?なんて感じの軽いノリで「丈治会」なる宴を企画。

それが、去年の年末のこと。

SNSに出逢ったその日のうち(?)にとりあえず両方が空いてる日でスケージュリングして

そして先日実際にお会いしてきました。

実はお互い人生で初めて遭う「丈治」に感動。

同じ名前だからこその悩み(前述した幼き頃の話とか)で盛り上がり、

そしてお互いの人生だったり、今の仕事についてお酒を飲みながら話してきました。

なんでしょう。同じ名前だからか、

とっても意気投合して、ふたりとも酔っ払いながらその日の夜を過ごしました。

久々の感じだなあ。

SNSで知り合った方と直接遭うことは結構多いのですが、

こんなにじっくり話したのも久しぶりだったし、

なによりもお相手の丈治さんがとっても面白い人。

ここで宣伝していいのか分からないので、詳細は敢えて書きませんが、

手がけられているお仕事もとっても面白いし、

そしてすごくクレバーな方だったので、話していてもとっても楽しかったです。

頭の回転が早い人、いわゆる勉強が出来る人、成功している人、

この3つが綺麗に重なっている人と話すととっても楽なんです。

懐が深いというか、とにかく何も気にせず話せる。

何を話しても卑屈になることがないし、

そしてどんな会話にも柔軟に対応してくださる。

今回お話した丈治さんがまさしくそんな方でした。

いや、本当にね、同じ名前なのに雲泥の差ですわ…

どこをどう踏み外したらこんな格差丈治が生まれてしまうのか…。

本当にいいお酒でした。

ある程度詳しく書いた気もしますが、

まあメルマガネタになることですし、

とりあえず報告したかったんで、書きました。

格差丈治…いや性格には常時格差かな。ほほ。

はじめようか。

2012年がいよいよ本格的に始まりました。

いや、本格的って何よってね。

年末に色々宣言した通り、

今年はとにかくより忙しくしていくってこと。

今日は2012.1.2

ワンツーワンツーなわけですよ。

チーターやね。

若い世代は知らないか。

とにかく本来なら元旦の方が何となくいいんだけど、

今日の方がゴロがいいから

なんとなく今日から始める。

去年はメルマガを復活させたり、様々なブログ始めたり

なんだか色々とアクティブなプロアクティブな年だった。

実際に私生活の中でも大きな転機が正式な独立があった。

そんなこんなで年の瀬はとにかく慌ただしかった。

本当なら年末に色々始める準備をしたかったけど、

まあやっぱり年明けからしようということになった。

んで、今日。

とにかく色々始めることにした。

具体的なことはほとんどこれから。

1月中には今年する全部を発表しようと思う。

去年は宣言したやつの半分くらいしか実行に移せなかったから

あまり色々と宣言するのもよくないって解ったんですけど、

相変わらず色々宣言したい人なんで。

ただもう少し筆無精なところを頑張って筆というかキーボードに向かおうと。

このweblogはあくまでも個人的な叫びの場なので、

そんなこともあってLIKEボタンとか設置していないし、画像も貼って無い。

なのでここで他のサイトの宣伝は基本しないでおこ。

まあ、リンクの方にちょこちょこ追加していくんで、

そっちの方をチェックしてもらうか、SNSのアカをフォローしてもらうかしてくれたらいいと思う。

なんだったらメルマガが一番確実に情報掲載していると思うから、

そっちチェックしてもらったらいいと思う。

と、ここまで来てお前は一体何様だと思うくらい

自意識過剰な文章だってことに気づいたけど、

まあそうでもなければこんなとこにわざわざ自前の文章をドロップしないと思うんで、

その辺は許して欲しい。

というか、ここまで読んでる時点で軽くファンだから。

いや、もうそういうことでいいじゃないですか。

頼みますわ。

2012年はもうとにかく始まってるから。

2012.1.1

みなさん、あけましておめでとうございます。

1年がスタートしました。

さて、今年はGeorge.K的に

超忙しい1年にしたいと考えております。

そこで手始めてに年の始にまず1月中に

色々な新しい企画をスタートさせていきます。

詳しくは次の投稿に書きます。

まずは新年の挨拶としての投稿をと。

それではみなさま、今年もよろしくお願いいたします。

今年の締めくくりに。

みなさま、残りの時間如何がお過ごしですか?

現在2011.12.31 23:03です。

今年も後1時間をきりました。

色々なブログやメルマガをやってますが、

年末のご挨拶も残すはこの個人weblogだけとなりました。

みなさんはどんな年でしたか?

George.Kにとっては本当に様々な色々な変革の1年でした。

年始に「Re:1」と銘打って色々企画したものの半分近くは達成できないままでした。

それでもそのコンセプトに従って

本当に新たに巻き直すことが出来た1年でした。

様々な新しい出逢いがあり、

様々な新しいスタートがありました。

一番大きなものは

30の時に33になるときには何か独立していたいな…と周囲に言ってたことが、

ひょんなことから実現しました。

まだピーピーいってますが、それでもおかげさまで

なんとか呼吸しております。

そして今年は大震災がありました。

これに関しては当時語った以来、あまり語ってきませんでしたが、

というのも僕の中でまだきちんと心の整理がついてないからです。

けれどこれも近い内に何かお話が出来たらと思います。

今年は今までにないくらい

様々な人にあい、様々な言葉を発し、様々な文字を残していきました。

まだまだ未熟で未熟で心に刻めるような何かを残せる人間ではありませんが、

俄然ゆるく、本気で遊ぶ。

それを続けていきたいと思います。

1年を通じていえば、様々な状況の変化が僕をとりまき、

すこし速度についていけなかったのか、僕が単におさぼり君なのか、

結局さばききれないまま、ここに立っている感じです。

でも少しは足の上げ方を思い出しました。

来年は前に少し進んでいけるように

新たにみなさまにお付き合いしていただければと思います。

年明け早々に色々と新しい企画を打ち出していきますので、

また僕の投げつける戯言を

泡沫の夢を(←言いたかっただけ)

ぼんやりと眺めていただければなと思います。

また新しい出逢いを探して、

そしてこれを見てくれている皆様の心に届くように

遊び続けていきたいと思います。

今年も大変お世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

よいお年を。

2011.12.31.
George.K

思い立ったら。

どうも、クリスマスイブになりましたね。

George.Kです。

なんだか長いことこちらに書いてなかったな。

メルマガ勝手に休止しちゃってすいません。

突然の独立などの様々な要因で

ちょっと筆が進まなくなりました。

無理にやっても意味がない。いや、無理にやった方がいいこともあるか。

去年から10年以上ぶりに復活させたメルマガ。

色々とカタチを変えながら、途中何度もお休みいただきながら

とにかく続けてきました。

年内には復活させよう。うん。

とにかく今、かなりの暗闇をひた走っています。

見えないけど、見つけたい光は見えている…そんなイメージ。

僕はどちらかというと慎重派。

けど、実はそんなこともなくて

思い立ったら即行動なタイプ。

ただ、思い立ったら…というところまでのプロセスが実に長い。

例えば東京に来た時のこと。

なんか、突然あてもなくやってきたようで

よくよく考えてみれば小学校の頃からずーっと来ようと思っていた。

例えばメルマガの件。

ずーっとくすぶっていた執筆欲をどう消化しようか…

ながいことインターネットメディアから遠ざかっていたけど

何かとりあえず糸口が欲しい…って思っていた。

結局思い立ったら即行動までのながーいプロセスがある。

これはあくまでも自分の感想だけど、

僕は割とさきっちょを見つけたり考えたりするのは上手い。

田舎生まれの田舎育ち(いや、それでも割と都会だぞ)にしては、

恐らく下手な都会人(この発言がすでに田舎者だな…)よりきっと長けている。

だいたいこれが流行りそうとか考えると間違いなくヒットする(ただし3年後とか)。

しかも爆発的に自分が予想もしていないくらいの勢いで。

大体そういうことを言うと「じゃあ今は何?」って聞かれる。

僕は常日頃からポロポロそういうのを落としていっているけど、

多分今までの会話で僕が言ったのに覚えていなかったということは

その人にとってはその程度だから、改めていう必要ないと思う。

だって結局その人の感覚には届かなかったから、言ったところで「そうかな〜?」とか言うから。

だから言った所で無駄。そして、言ったところで

そういうのに敏感じゃない人に話した所で、

後々僕があの時言ってたあれでしょ?っていう変な自慢話みたいになって終わりだから。

…なんてことに気づいたのは割と最近。

昔は、とにかく目の付け所がシャープでしょ?な自分を自慢したかったが、

まあ結局僕が目をつけているときには同じように目をつけている人は多数いるし、

それどころか、そんな能力があっても有効活用しなきゃ何の意味もないと思う。

そういえば、最近とある方とビジネス的な対談(っていうとカッコイイよね)をしていた時

「そういうのはあまりベラベラ色んな奴に話すなよ。

 お金もっている奴にアイデア乗っ取られたら勿体無いぞ」

なんてこと言われたんですが、

確かに僕も割と最近まではこの意見に近くて

いいビジネスモデルとか、いい商売のアイデアとか浮かんでも

あんまり色んな人に離さないように気をつけていた。

ところが、ある時に今牢獄の中に入っているIT長者で有名なとあるお方が

「お前ごときが考えているアイデアなんて一円の価値も無い。

 今はアイデアには価値は無い。そんなものいくらでも転がっている」

というのを言われたのを聞いて、目が覚めた。

全くだ。これだけインターネットが普及して、ソーシャルネットが蔓延している中で

そこらにいるパンピーの考えるアイデアなんて大したことないわけです。

いや、中にはものすごいアイデアを持っている人もいるとは思うのですが、

それだって実行できる資本や能力がなければ何の意味もない。

きっとそのために準備している内に誰かがきっと実行に移している。

それだったら「こんなアイデアがある。同じやついねーがー」って叫んで

乗ってくれる仲間探している方がいい気がする。

極端な話をすれば、それを言い回ったことによって誰かにアイデアをパクられても

自分のアイデアがどれだけの価値を産むのかを誰かが勝手に実験してくれると思えば全然いい。

もし、それでそのアイデアが巨万の富を産んだのなら、きっと自分にはアイデアを産む力があるのだろう。

そして、今回その価値を自分で産めなかったのなら、今はタイミングじゃなかったのだろう。

そんなもんだ。

もし実行に移せるのなら、きっと今頃もう事業計画書書いて片っ端から投資家や公庫やなんかいろんな人に逢って

かけずり回ってお金の工面をするか、どうにかしてお金をかけずに実行するために色々やっているはずだ。

ただ、考えているだけの段階が長く続くなら、

きっとそれはずーっとそれだけ。

というのが、今の僕。

なので前よりももうちょびっと早く思い立ったら即行動するようにした。

まあきっと東京に来たおかげもあるのかな。

こっちにいれば本当に即行動している人が地元よりも多くいるイメージ。

いや、実際は地元にもいたんだろうけど、表に出てこない。

こっちは目立ちたがり屋さんがいっぱいいるので、

その分僕も触発されている感じでしょうか。

とにかく若いころとは随分とその辺の考えが変わった。

歳を重ねたからなのか、時代が変わったからなのか、どっちかは解らない。

そういえば断捨離ってコトバがある。

僕は引越しを繰り返す度に掃除が割とうまくなった。

一番気をつけていることは兎に角捨てまくること。

たとえば「このTシャツもう着ないな…雑巾にできるからとっておこう」

とか考えたら、即座に普段拭かないところとかを拭いて、そしてすぐ捨てる。

そうすれば勿体無い感が無い。

あ、このトレーナー部屋着にしようかな…って思ったら

今着ている奴を脱いで、それに着替えてんでしっくりこなかったら

洗いもせずに即捨てる。

こんなことを繰り返していたらいつの間にか”捨て上手”になった。

断捨離ってコトバが流行りだしたあたりからやりだしたことだから

なんかブームに乗っているみたいでハズイが、

とにかくこれが僕の捨てリズム。

思い立ったら即使う。

これで随分部屋に余計なモノがなくなりました。

って掃除のことを書こうと思ったら

いつの間にかすんごい話が脱線したっていうお話です。

思いったら即書いちゃうタイプなんで…

OTK

僕っていわゆるオタクになりきれない中途半端な人なんです。

ものすごく若い頃には
とりあえず好きになったアーティストとか作品のシリーズとか
片っ端から全部集めちゃうようなことやってました。
高校生くらいになったころから、急にそういった熱が冷めまして、
とにかくそういうのはもういいやってなっちゃって…

最近頻繁にSNSで色々なお会いしたことも無いような方たちと
頻繁に絡むようになってなんというかふと、思ったんですけど、

例えばGoogle+やfacebookなんかでは女性とかで自分の今日の服とかをアップする人いますけど、
僕は普通に女ったらしなので、可愛いって思ったら+1したりイイネしたり「ふぅ…」したりするんですが、
直感的に好みに合わなかったら、基本スルーします。

ただごくたまに名指しで「どう?」って聞いてきていただける場合があります。
個人的には「今回はあんまり…」って言いたいところですが、小心者なので言えません。
そしてまたばかみたいに正直ものなので嘘で「すんげえ良かったす!」とか言えません。

なんというか例えばものすごく好きなアーティストの新譜とか出ると
とりあえずチェックするのですが、
けど、別に何の興奮もしなければ基本そのままっす。
な、ものですからものすごく好きなアーティストでも
知らない曲とかいっぱいあったりします。

それでも「好き」っていうのはなんともハズカシイことなのかな…

なんかね、なんというかね、
僕はオタクになりきれない中途半端な奴なんです。

いや、それだけです。
特に何もありません。

とりあえず、自分の直感でイイと想うモノしか
イイと言えない、世あたりベタな小心者の女ったらしです。はい。

ピークタイム

人として生きていくっていうものを全うしている僕達だけど、

ただ生きるってわけじゃなくて、時折現れるミッションみたいのを少しずつクリアしながら

何かの目的に向かってそれぞれの最終地点っていうのを求めてる、

まあそんな感じの日々を過ごしている。

人はいつか死ぬし、知らない間にこの世に生まれてきたし、

誰が一体、何のために、何がしたくて始めたのか分からない

そんな感じの生命のループが繰り返されている。

あ、なんだろちょっと暗い感じになってきた。

これはよくないっす。

それなりに年齢を重ねてくると、19・20の頃までとは違ったコトバがよく聞かれる。

「あぁ、あの頃が一番良かったな…」

そういうのをピークタイムっていうのかな。

例えば大好きだったあの子と恥ずかしそうにしながら

勇気を出して手をつなぎ、そして花火の明かりの下で接をしたとか、

甲子園を目指して一生懸命練習してきたけど、

県大会の一回戦でありえないくらいの点差で負けて最後の夏を終えたあの時とか、

なぜかわけの分からないほど、モテまくった人生で何度かしかないと言われるモテ期とか、

長く交際してきた彼女にプロポーズをした瞬間とか…

なんかそれぞれ違う思うけど、

みんなそれぞれ自分が描く、あの時が一番輝いていたなって瞬間がある。

僕は、それが一番嫌いだ。

人生のピークタイムを過去に置いてきてしまったなら

僕らは何をどう過ごしていけばいいんだろ。

美味しい焼肉を食べて、その味を思い出しながら毎日白米食べるの?

無理だよ。食べたいもん。

人生のピークタイムは、それこそ死ぬ瞬間がいい。

僕の小さな頃の夢は、ステージでピアノを弾きながらそのままブッ倒れて死ぬってやつ。

それが人生のピークタイムでありたいってそう思ってた。

でもね、確かに偉そうに今こうやって書いているけど

結局僕だって、今この瞬間よりすんげえ良かったって思える瞬間がいっぱいある。

そう…結局は口で言っているだけの大したことないやつ。

なんの有限実行性もない、ただの口だけ。

でもさ、例えばね「今日は本当に楽しかった!すごかった!」って思ったら

きっとそれはある種のピークタイム。

けど、よくさそういったことを言ったあとってさ

ファーストフードのポテトみたいに決まって出てくるのが

「ああ、明日からが憂鬱だ」みたいな発言。

なんだよ…今日が楽しかったら明日はもっと楽しくすりゃいいじゃん。

そんなの無理だって?

例えばね、昨日より今日が楽しくなかったら

もうその時点で1日下ってるから、

明日は昨日より楽しくすりゃいい。

いや、多分さそんなにうまくなんて行かないよ。

でもさ、「楽しい!今日最高!」なんて日の次の日にさ

それに気づかずにいると

何年かしてさ、「あぁ…あの時がピークタイムだったな」って

まるで忘れ物してきたかのようになっちゃうんだと思う。

いや、熱弁してるけどさ、僕もそうですよ。

それどころが、ピークタイムって何ってくらい

なんの誇れる輝きも無い。

しいていうなら、今これを読んでくれている人がいるってことくらい。

それってすごいこと。

たとえばまたこんな風に文章を書いて

それを読んでくれる人がこの文章よりも少なかったとしても

それだけの人がリピートしてくれたってことがすごい。

だってさ、出逢って別れてって毎日そんな繰り返し。

そんな中で、僕みたいな人間の書く文章を

繰り返し読んでくれる人が極僅かでもいるってこと。

それはとってもシアワセなこと。

そしてその人と僕との見えない繋がった時間が増えていけばいくほど

その瞬間が常にピークタイム。

音って重ねれば重ねるほど大きくなってメーター振り切れちゃうんですよね。

そんな感じ?

数じゃなくて積み重ねたものが多ければ多いほど

その瞬間がピークタイム。

だから、僕は結婚なんてしたことないけど

何かかつての有名な作家さんが恋愛の最大の瞬間はプロポーズみたいな

そんなこといってたような記憶がありますけど、

そんなことなんかない。

毎日1日1秒ごとに積み重ねていく日々が

多くなればなるほど、その瞬間がピークタイム。

きっと喧嘩だってするし、時にはキモチが離れそうにもなると思う。

けれど、一緒にいることで積み重ねてきた

ひとつひとつの音の大切さに気づけたら

多分その瞬間にメーターは赤く光ってるて思う。

あれ、何書こうとしたんだっけ。

まあさ、どんなことがあっても

「おれは、あの時が一番輝いてた」

なんて言わないように

常に輝ける自分を作っていかないといけないんだわさ。

あとどれくらい、こうやってここに文章を書けるかわかんないけど

またこうして

僕の紡ぐ文章を読んでくれている人がいるなら

その瞬間がいつも僕にとってピークタイムです。